※過去に言われた言葉を修正なく載せているところがありますので、辛くなりそうな場合はブラウザバック等をおすすめします。
言葉。
辞書で引いたらたくさんの意味があるフレーズ。
支えられたり助けられる事もあれば、心の傷として残り続ける事もある。
結構難しいものだな、と思っています。
さて、今回のタイトルに書いた『言葉づかい』。
私がここで話したいのは口調の意味の”言葉遣い”ではなく、人にメッセージを伝える時の、言葉の”使いかた”。
なので、あえて言葉”づかい”とひらがな表記で書いています。
そろそろ本題に入ろうかと思います。
☆
基本的な「てをには」にズレが生じない様にということはもちろんですが、なるべく言葉を使う、選ぶ際には相手(見る方・聞く方)に押し付けない・その人そのものを否定しないような表現になるように気を付けています。
私は、生まれ持った特性や容姿の影響からか、様々な表現の悪口やいやみを聞いてきました。(どんな人も生きている以上、多かれ少なかれのマイナスワードに衝突した経験はあるかと思われますが…)
その中でも特にきつかったのは『(本名)とお前自身が釣り合わない』、『(あの人※私)いなくなっちゃえばいいのに』。
容姿や性格を非難されるのもきついですが、私にとっては人格や存在そのものを否定されるのが辛いし、辛かったです。
名前の方については、親が私に大切に思いを込めてつけてくれたものなのに、どうしてそんな言われ方をしなくちゃならないのか今でも悲しいし、腹が立ちます。
言った側はとっくに忘れてるだろうけど。
☆
上記のような経験を重ねてから私は、言葉の重みを考えるようになりました。
なるべく相手が不快にならない表現を心がけるように、それと自分がきっかけで悪口のような表現にならないように。
(ただ、言葉の裏や皮肉めいた意味を感じ取るのがあまり得意ではないので誤解を招いてしまう事もあるので気を付けつつ。)
他にも原因は考えられるのですが、そんなこんなで私は自分の考えを口にするのが怖いです。
これまでに「優しいね」と声をかけてくださった方がいらっしゃったのですが、私はそれを聞いてなんだか素直に受け取れませんでした。
私の場合は”優しい”というより人と衝突しないための処世術。本来の性格というよりは少しでも摩擦を減らすために使っていることだから、とつい心の中で考えてしまいました。
しかし、この世の中優しさだけでは生きていけない。今の職場でも自分の思いを上手く出せなかったばかりに今度は自分が追い込まれてしまった。
と、なると…。
衝突しないような生き方も大事だけど、自分が苦しまない程度に相手に思いを伝えることも大事なのか。
なかなかこの塩梅が難しくて、ただいま模索中です。
声に出してしゃべるより文として書く方が向いてるかもしれません。
違和感を感じたら修正がしやすいから。
ただ、皮肉なもので自分の思いを言語化することがあまり得意ではないのでそこは少しずつ鍛えていかなくちゃな、と思っています。
目を通してくださった方、いらっしゃったらありがとうございます。
それではこのあたりで。