みかぎのかぎ

その時の思いを様々に

わたしのこと

昨日は朝起きた時からどうにも気持ちが曇っていて、結局丸一日更新しなかった。

所用を済ませたあと、図書館で予約していた、推しが”自分にとってバイブル”と言っていた辻村深月さんの「かがみの孤城」を受け取り、読んでいた。

 

どこかの記事で書いたか忘れたけど、別にこのブログ自体は毎日更新を心がけているわけではない。

書きたければ書くし、気持ちが乗らなければ書かない。

強いて言えば、決まり事は「自分を過度に偽らない」、そのくらいだろうか。

 

小説の筆致があまりにリアルで、いろいろとしまい込んでいた感情も思い出された部分があるので、ひとり言がてら、書いていきたいと思う。

 

どこの誰かも分からない人の生い立ちなど、知ったこっちゃないと思うので

海に流した手紙入りの瓶のような感覚で適当に受け取ってほしい。

 

私は、小さい頃から自分の特性を知っている。

幼稚園にも上がる前、風邪(もしくは熱)症状で病気へ私を連れて行ったところ、
「この子(筆者)、自閉症かもしれませんね。」と言われたらしい。

風邪で病院に連れて行ったのになぜ自閉症に注目されたのか分からないけど、たしかお医者さんや看護師さんの呼びかけに反応をほとんど示さなかったようで、そこから親に告げたと思われる。

それからは今でいう療育?を受けに保健センターへ通っていたらしい。

母からは当時の担当者から聞いた

「出来なくて当たり前、ですから出来なくてもどうか怒らないであげてくださいね。」って言われたからなるべく見守るようにしている』

という言葉を散々聞かされていた。

なんとなく分かる。

このフレーズが出た時はホントはちょっと怒りたいとき。

半ば母が己に言い聞かせていたのかもしれない。

もしかしたら、私を慰める目的も多少なりともあったのかもしれないが、

私にとっては茶渋のようにこびりついて取れないモヤモヤである。

言葉の通り、生前の母から理不尽に怒られた記憶はほとんどない。

ただ、あまり、認めてもらったこと、褒めてもらったこともなかった。

父もそうだけど。

 

好きな科目の美術でポスターが入選したときも

学級委員をやらされそうなのが嫌で生徒会に立候補しようと思った時も。

テストを成績表見せても点数よりも母は問題文や解答に興味を示してた気がするし、

父はあっさりとした感じ。勤め先の宴会帰りのときが一番褒めてくれた記憶だ。

 

私は2番目の子で、3才上の姉の時に経験した学校行事も多いだろうから
両親からすれば繰り返しかもしれないけど、私にとっては初めてなわけで

「繰り返し」ではないのだ。

 

ただ、違いを挙げるなら姉は療育などは受けていない。

受ける必要のない幼少期だったのだろう。

 

姉は小さい頃からずっと母がとても大好きで大抵ビッタリとくっついていた記憶だ。

姉妹という関係でありながらもライバル意識のほうが相応しいような

そんな感じだった。

 

両親の考え方としては、姉妹平等に気にかけるように、といった感じだったのかな、と思う。

それもあまり褒められなかった背景かもしれない。

 

先述した生徒会のことも、母からは猛反対された。

あまり生徒会役員の親だと目立ちたくない、それに本当に務められるのか。

 

母からすれば、中学生になったって「できなくて当たり前」な私は変わらないのだろう。

この子は本当にできるのか。何かやらかさないだろうか。

 

私は私で、中1の時にクラスみんなの前で私をからかったセクハラ発言をして笑いを取っていた男子と学級委員を組まされそうになるのが嫌で嫌で、最後の逃げ道だった。

(内容を口にするのも嫌でこのことを打ち明けられなかった。)

 

結局は生徒会に入ったけど、当時はあまり応援してもらえなかった。

 

そういった背景も絡んできて、私はだんだんと自分の話をするのが苦手になった。

というか諦めはじめた。

 

相手の気持ちを考えて、疲れていそうな時は声をかけない。

自分がやってみたいと思ったことだって所詮は凡人なのだから叶うわけがない。

 

そう思うことに慣れ始めると、気持ちに蓋をするのが当たり前のことになった。

皮肉なことに、蓋をし始めてからの方が周りと上手くやっていけるように感じた。

 

心のどこかで「頑張らないと」と思う自分が常にいるのだと思う。

何か人のためになるような事をしないと、そこにいる事を認められないような気がして。

退職して、形式的には療養中の今も、何かしら動いている意思表示を見せないと居心地が悪い。

資格勉強や学校に入ったことは自分のやりたい事なので、そこは心配しないでほしい。

 

「優しい」と言われることもあるけど、

それはあくまで周りに合わせるために自分を抑えているから。

本当の意味での優しさではないんじゃないかと思い今でも葛藤することも多い。

 

ただでさえ特性も影響して普通を装うのもパワーがいるのに、自分を抑えることも必要なのでは本当に息が詰まる。

きっと本当は誰からもそんなことをしろとは言われていないのだけど。

 

姉と、前職の事務担当さんから

「言いたいことは言った方がいいよ」

と言葉をもらうから本当はもう少し、自分の事を打ち明けても良いのかもしれない。

 

なんとなく、自分を押さえつけているのは他でもない自分な事も分かっている。

だけど、今さらどうやって緩めたら良いのか戸惑っている。

 

ひとつ前の記事で「頑張っているから頑張らなくていい」とコメントをいただいて本当に嬉しかった。

ありがとうございます。

 

自分と向き合いたくて作ったブログ。

今日みたいな内容はずっと書きたかったけど、なかなか言葉に出来なかった。

ほんとはちょっと怖かった。

だけど、自分の中の膿みたいなものを吐き出したかった。

だから記事を書いた。

 

近しい人に見せるものでもないし、ここまで語る日は来ないと思うけど

今の思いをたしかに。

 

お読みくださった方、いらしたらありがとうございます。

お疲れ様でした。

では、また。