みかぎのかぎ

その時の思いを様々に

言葉は蜜のようだ

ようやく書きたかった記事ができそうだ…!

はじめに

近頃、家族がアニメを見始めた影響で「薬屋のひとりごと」を知った。

(元からタイトルは知っていたものの、流行りのものにすぐ飛び付ける性質ではないのだ)

主人公、猫猫の人に無駄に媚びようせず、しかし相手のことを考えながら行動する様子は見ていてとてもかっこいいし、面白い。

現代社会のように医学・薬学もそこまで発達していなかった時代(の様に見える)なので、今ならそういった知識に詳しくないものでも解決できる事案も【呪い】などの類に例えられたりして大変だったろうなと思う。

きっかけではあるものの、主題はこの後にある。

 

言葉のもつ力

最近、心が痛むネットニュースや投稿をよく見かけるように思う。

先日の静岡県知事の発言や、推しグループの中の1人のプライベートな話が記事にされたり、推しの事務所の先輩グループが改名&新メンバー募集でファンからの動揺が本人の元に寄せられていたり。

(実際のニュースはもっとある事は存じた上で、今回はこの辺りについて触れたい。)

私たちが生きているこの世の中で”言葉”ほど、薬としても毒としても成立するものはないのでは、と思う。

言葉によって救われたり、誰かへの応援に繋がったりする。

一方で、誹謗中傷や罵詈雑言、または言っている本人からすれば傷つけるつもりはなくても相手にとっては気にしているところだったり、過去の発言がブーメランとなって自分の首を絞める結果になったりと

想像以上に奥が深いものだとしみじみ感じる。

では、何故タイトルに”蜜のようだ”と書いたのか。次の項目に書きたいと思う。

蜜の意味

まず初めに、蜜の意味を確認したい。

kotobank.jp

基本的には花や樹木からミツバチなど虫類が採取した甘い液体とある。

そして、上記のサイトを辿るとこのような説明もある。

「蜜」は「蜜柑(みかん)」のように単に強い甘味を意味したにすぎず、砂糖からつくる糖蜜と混同したのも当然だった。蜂蜜のおもな用途は、甘味料よりも、漢方の他の薬品と混ぜる緩和・強壮剤であり、また、ろうそく、整髪剤などの原料にした蜜蝋(みつろう)が蜂蜜採集の主目的だった。

 

ハチミツの説明が主であるが、概ね良い意味で書かれている。

最初の項で表したが、『薬屋のひとりごと』にもまさにハチミツが話題になっている話がある。

これから知ろうとするかたの為にも詳細は伏せたいが、ある人物が良かれと思って行なった行為がかえって裏目に出てしまった。

何故、ハチミツが関係するのか―

察しの良い方なら既にわかるかも知れないが、作中の侍女が栄養のために、と乳児にハチミツを与えていたのだ。

乳児にハチミツを与えると危険、というのは今でこそ割と有名な部類の話だが、それでも日本国内で注意喚起がされ始めたのもまだ30~40年前の出来事であり、作中の時代から考えると知っている者の方が少なかったのでは、と私は考える。

 

つまり何が言いたいか。

自分の見聞きしたもの・ものさしだけで行動を進めるのは大変危険であり、厄介なものである。

ということだ。

好きという気持ちで思い始めた人やものも、自分にとって【悪】だと感じた時点で途端に目の色を変えて容赦なく叩く。

最近、そういった風潮が多いように感じる。

匿名で伝えられるツールが増えたことは原因の一つと思われる。

人間、自分の思っていた通りにならないと混乱したり、感情的になる。

わたしもそうだ。

ただ、推したちを例にして伝えたいが、甘い蜜のように魅力的なものを見せてくれる相手も、我々と同じ人間であることを忘れてはならない。

笑ったり泣いたりもするけど、落ち込むことも傷つくこともあることを忘れてはならない。

最初は体内で、心の中で処理できた毒だとしても、少しずつじわじわと体を蝕みはじめたらどうだろうか?

それと、良かれと思って伝えたものも、受け取り手の考え方によっては全く違ったものとして伝わってしまうことも気をつけたい。

終わりに

どちらかというと批判的な内容中心の記事になってしまったが、言葉があるからこそわたしたちは喜びや感謝を伝えられる。

だからこそ、わたしは好きなもの(推しも含め)・ことには支えてもらった感謝などを伝える努力をしている。

”言葉”というのは身近な存在だからこそ、薬を服用する時のように注意点を踏まえた上で、そしてできるだけ発するときに責任を持って伝えていくことが今を生きるわたしたちにとって大切なことだと思う。